Saturday, June 29, 2013

アルファマ地区

街の中心の「低い」地域バイシャを挟んで、西の丘がバイロ・アルト、東の丘がアルファマである。アルファマは1775年の大震災で最小限の被害しか受けなかったため、バイシャのような大々的できっちりとした復興がされず、大昔のイスラム支配の影響を残したまま、点在する教会を中心に迷路状に広がっているエリア。丘のてっぺんにはサン・ジョルジェ城がどっしりと鎮座する。

そのユニークな形状の路地や情緒あふれる景観は今や観光客には人気のエリアだけれど、大昔からここはリスボンでも最も貧しい人の住む地域で、それは今でもそんなに変わっていないそう。漁師の妻たちが地べたに座って魚を売り、水道のない時代には衛生状態も相当悪かったらしいけれど、今だって街角で炭焼きのイワシを買って食べるのは、あんまり衛生的とは言えないし、狭い路地を挟んで窓と窓の間で大声で怒鳴り合って会話するおばさんたちの姿は、きっと昔とおんなじだ。家々の平均的な広さは30平米だというから、温暖な気候も幸いして、人々はおのずと家の外でごはんを食べ、路地でたむろすようになるわけだ。

ガイドしてくれた学生さん曰く、地図は役に立たないから見ても意味がない。地図上では繋がって見える路地も、実際には高さが違ったりして繋がっていないことが多いため、街を2Dで表すことが不可能なんだそう。実はワタクシ、写真を撮っているうちにガイドグループにおいていかれ、あわてて追いかけたけれどはぐれてしまって、結局迷子になってしまったのだった。仕方ないので、ひとりで迷路を彷徨いながら、お城を目指して丘を上がり、帰りは川を目指して丘を降りた。お城はチケット売り場のあまりの行列にギブアップ。でも城側から眺めるリスボンの全景も素晴らしい。坂道さえ厭わなければ、ほとんどの場所を徒歩で回れるコンパクトで美しい街だ。

「サント・アントニオ教会に抜ける」と表示の出た路地の入り口
昔は階段はなかったので、重い荷物を持ったまま
転んで下まで滑り落ちる人が後を絶たなかったそう。
おかげでついた名前は
「Beco do Quebra Costas お尻を痛める路地」
漁師の妻たちが地べたに魚を並べて売っていたという
フィッシュ・アレー
狭い商店は商品を外まで並べる
典型的なアルファマの景色
路地を抜け階段を通り、迷路の街は続く
迷路の突き当たりにはバラックのような小さな家々
お城の近くから眺める白とオレンジの街
ありがとうリスボン、怒濤の10日間!

カステラ・ド・パウロ

リスボンに長崎のカステラを里帰りさせようとがんばっている日本人女性がいる。関西弁の元気で明るい智子さん。長崎でカステラ修行をしたというご主人のパウロさんと、カステラ・ド・パウロという可愛いカフェをコメルシオ広場のすぐ近くで経営している。ポルトガルから輸入されたと思われているカステラだけれど、実はポルトガルにはカステラという名前のお菓子はない。パォン・デ・ローと呼ばれる伝統的南蛮菓子が、日本で独自に発展してカステラになったと考えられているそうだ。ここカステラ・ド・パウロでは、パウロさんの作るパォン・デ・ローと長崎カステラの食べ比べが出来る。素焼きの器に入ったパォン・デ・ローは、表面は焼き色がついているけれど中はとろっと半熟状態。スプーンでふわっと食べるやわらか〜い生カステラのような感じだ。長崎カステラのほうは、食べ慣れてる文明堂や福砂屋のものよりちょっぴり重たい感じはするけれど、このしっかりとしたスポンジのしっとり感はまさに丁寧に作られた手作りカステラという感じ。どちらもそれぞれ特徴がはっきり分かれていて、甲乙つけがたい美味しさ。一緒に出される日本茶とともに、すごく満たされて幸せな味がする。世界中いろいろなところに日本人がいるけれど、こうしてリスボンにも情熱を持って頑固にやりたいことを通している女性がいる。リスボンはスリが多いから気をつけてね、と何度も注意してくれた智子さん。旅も最終日になって久しぶりに日本語を話したのだった。

パォン・デ・ローとカステラのセット
名付けて「食文化体験セット」はお茶がついて3ユーロ
間口の小さなお店だけれど、目を引く日本語が嬉しい
奥に広い店内は、リスボンカラーの黄色が基調

Friday, June 28, 2013

パステル・デ・ナタ

有名なポルトガルの伝統菓子である。パイ生地にカスタード・クリームが入り、表面に焦げ目がつくまで焼いてある。外側がパリっとして中がクリーミーな甘〜いエッグタルト。リスボン中のどこのベーカリーにも売っているし、朝食のホテルのバフェにも毎朝必ず置いてある。でも、このお店、パステイス・デ・ベレンのものは違うんですって。その昔、ジェロニモス修道院の修道士たちが資金集めのために作って売ったのが始まりというこのお菓子。ポルトガル中で一番美味しいとされるこの店の、修道院から受け継いだというそのレシピは門外不出なのだそう。お持ち帰り用のカウンターは長い行列でわんわんしているけれど、奥のカフェをのぞくと席が空いていたので、ここでコーヒーブレーク。ひとりで2つ3つ食べるのが当たり前のようで、オーダーしたら「いくつ?」って聞かれ、ひとつだけ頼んだらちょっと怪訝な顔をされた。でもさ〜、どこが違うんでしょ!? 焼きたてで温かいのは疲れた身体に確かにとっても優しいけれど、でもそれ以外、ワタシにはマリオット・ホテルの朝食で出るナタとの違いがわかりませんっっ。

ジェロニモス修道院から歩いて来ると、
人だかりが見えるのですぐにこの店だとわかる
お持ち帰り用のカウンターは観光客の長い列
ずいぶん歩いて疲れていたので、何も考えずに食べちゃって、
うっかり写真を撮り忘れた。
これは隣に座った中国人の女の子のお皿を撮らせてもらったもの。
彼女は3つ頼んであっという間に全部ぺろっと食べちゃった!

ジェロニモス修道院

世界遺産のジェロニモス修道院も、エンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマの偉業を称えて、また新天地開拓へと乗り出す航海の安全を祈願して建設されたものだそう。着工1502年。大航海によって海外からもたらされた富をつぎこんで、約1世紀近くかけて完成したんだそうだ。栄華だね〜。ところで、空港に近いコンベンション・センターの隣にあるリスボンで最大、最も新しいショッピング・モールの名前は「バスコ・ダ・ガマ・ショッピング・センター」 500年後に自分の名前がショッピング・モールの名前になるって、ガマさん的にはどうなんだろ。あ、そういえば、居酒屋「ジョン万次郎」というのもありましたっけね。すいません、脱線しました。

エレガントなドーム型の鐘楼。
遠くから見ても半端じゃないぞと思わせる装飾がすごい
全景はとてもファインダに収まりきらないきらないけれど、
ナイス・トライ!
2階建ての回廊の1階部分。石灰石でできている
おごそかな教会内部
バスコ・ダ・ガマの棺。
500年前に亡くなった教科書に出て来るあのガマさん、
ここに眠ってるんですよ!
修道士たちが集った食堂だそう。アズレージョが見事
2階に上がる石の階段
ひんやりとした階段とはうってかわって、西日の眩しい回廊2階部分
回廊に囲まれた中庭。何か行事が’あるらしく、
たくさんのイスが並びステージができていた
2階の聖歌隊席正面にあるキリスト像。
雰囲気があってとてもアーティスティック
聖歌隊席から見た教会内部。柱の1本1本にも
気の遠くなるようなレリーフが彫り込まれている

ベレン地区

わずかな記憶に残っている、世界史の授業に出て来たエンリケ航海王子とかバスコ・ダ・ガマとか。ポルトガルの話だったんですね。ヨーロッパ列強が競って海外に富みを求めた15~16世紀、ポルトガルは海洋王国として世界最強だったのだ。リスボンの街の中心から西に少し離れたところに、その大航海時代2大モニュメントがある。まずはベレンの塔。1500年代にテジョ川を行き交う船の監視と河口を守る要塞として建設されたそう。あまりにも古くて大きいものをたくさん見て来たあとだからか、それとも狭い路地ばかり歩いたあとに突然この広大に開けた川のほとりに来たせいなのかもしれないけれど、そばに来ると意外に小さい気がする。ここに来るまでの15番トラムが観光客でとにかくバカ混みだったので、テラスに届く心地よい風が一服の清涼剤。

ベレンの塔
よく見ると細部にきめ細かい装飾が施されている

ベレンの塔から10分ほど歩くと、こちらは発見のモニュメント。航海に乗り出す帆船に、先頭からエンリケさんとバスコ・ダ・ガマ、そしてその時代に活躍した名士たちが続く。エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に造られたものだそうだけれど、500回って…. 500年と言えば、日本では織田信長とか? 織田信長のモニュメント、今さら造りますかね、日本だったら。やっぱりポルトガルは過去の栄光に生きてる国なのかなぁ。


エレベーターで屋上に上がると、4月25日橋と、対岸にブラジルのリオにあるのを真似て造ったというジーザス・クライストの像。植民地を宗主国が真似たというわけだ。今やブラジルの植民地かと揶揄されるほど経済的には弱くなってしまっているポルトガルだけれど、輝ける栄光が復活する日は来るのだろうか。意味のないストライキとかやってるし....

4月25日橋と対岸のキリスト

モニュメント前の広場の地面に描かれた大理石のモザイクも圧巻。地面にアートを求めるリスボンらしいプレゼンテーションだ。描かれた地図には世界各国の発見された年号が。日本が「発見された」のは1541年。その前からとっくにありますよ、と言いたいけれど、これは強い国ポルトガルの視点ですからね。

下にいるとあんまり全貌が掴めないけれど….
上から見ると圧巻
この北風、かわいくないですか?
海の妖精? 半漁人?
モニュメントのお向かいは世界遺産のジェロニモス修道院。
このあとここに行きます。

ストリート・グラフィティ

リスボンのストリート・グラフィティ。タイルに絵を描いて装飾する伝統の影響か、というのはワタシの勝手な解釈だけれど、かなり質が高いものが多い気がする。もちろんただの落書き的なものもたくさん見たけれど、ここではワタシがカワイイと思ったアーティスティックなものを一気にご紹介。書いてある文字の意味がわからないのがちょっと不安ではありますが、おわかりになる方で、これはマズイぞ、というものがありましたら、ご一報ください。


ケーブルカー

エレベーターと並んで、坂の街に特有のもうひとつの交通手段はケーブルカー。これもまた過去の遺産というか、忙しい現代人には悠長すぎる乗り物で、歩いたほうがよっぽど速い。ガイドブックには「市民の足として活躍する」と書いてあるけれど、お年寄りと観光客をのぞけばもうそんなに利用する人はいないのだろうね。街に3つある線のうち、ワタシは川側の市場のほうからバイロ・アルトに上がるビッカ線というのに乗ってみた。両サイドにぎっしり並んだ洗濯物のはためく家々の狭い谷間を、ゆっくりゴトゴト上がって行くリスボン名物の乗り物は、なんとなくタイムスリップしたような気分にさせてくれるのだ。

ビッカ線の乗り場入り口。レトロな外観
駅を出発すると、えっちらおっちら坂道を登っていく。
歩く人に追い越されたりする。

シンプルな黄色の車体もあるけれど、
ワタシが乗ったのはアズレージョ模様が可愛い
リスボンならではの車体。

イワシ

イワシについては、リスボンに来る前から多くの人に聞かされた。でもあんまり魅力に思わなかったというか、だって一匹100円も出せば買えるあの大衆魚でしょ。それが焼きすぎてパサパサになってるんじゃないかと、あんまり信用していなかったのだ。でも名物だと聞けばそれはやっぱり食べてみるでしょう。ということで、出て来たのがコレ。うそ。コレ美味しいよ〜。塩焼きにして、オリーブオイルをかけただけのシンプルな料理だけど、脂がのってて新鮮で、ハラも小骨も全部食べられる。お皿が出てきた時には、うわぁ~4匹も、と思ったけれど、あっという間に完食しちゃった! ワタシはレストランで食べたけれど、よく話に聞く、路上で炭焼きしているというイワシやさんも、バイロ・アルトの街角で見かけましたよ。これもまた、きっと美味しいんだろうな。

バイロ・アルト地区

エレベーターで上がって着いたところが「高い地域」という意味のバイロ・アルト地区。ガイドブックや観光パンフレットの表紙になったりする、いわゆるリスボンらしい坂道の風景がここにある。高いエリアにもかかわらず下町っぽいというか、軒を連ねる商店街に普通の人の生活が垣間見れたり、狭い路地にレストランがテーブルを並べていたり。労働者層の生活の苦労や哀しみを謳った、ファドと呼ばれるポルトガルのブルースを聴かせるバーがたくさん揃っているのもこのエリア。そして、高台のサン・ペドロ・デ・アルカンタラ公園から一望するコンパクトなリスボンの全景が素晴らしい。正面にサン・ジョルジェ城、城下にオレンジ色の屋根の波、右側には港と貨物船の浮かぶテジョ・リバーと、絵はがきのリスボンがここから眺められるのだ。

生活感が息づくストリート
レストランのテーブルも坂道の風景に溶け込んで
暮れなずむリスボンの街
夕涼みの人々が行き交うサン・ペドロ・デ・アルカンタラの展望台